それでもご飯を食べる

日々のくらし
花びら一枚一枚の価値

一瞬にしてそれまでの積み重ねてきた日々の生活を奪った能登半島地震

世界で起こっている戦争

物価高

大切な人を亡くした友人

こんなちっぽけな存在の私だけど、直接にはなくとも悲しい情報がたくさん入ってくる。

それでも、私はご飯を食べる

生きるために

 

 

何かできる事はないかと考えても、行動に移すことがなかなかできない。

時間を戻したり、魂を呼び戻したりはできない。

せめて少ないけれど寄付をしたり(被災地)倹約をしたり(物価高)慰めの言葉をかける(友人)ぐらいなもの。

今日も朝を迎えた。

ベランダに出て、夜明けの空を見たら、東の山の方がオレンジに染まって、その横に視線を流したら、細い三日月とそれを見守っているような星

思わず写真を撮ってインスタにアップした。

同じ時間に誰かもどこかで、月と、月に寄り添う星を見ているのだろうか。

興味を引く記事があったから紹介

「花びら1枚1枚の価値」と唱えると、いつの間にか目の前の仕事(私の場合家事)に集中することができる。今、自分で記憶を整理しなくても、夢の中で整理してくれるので、過去の失敗の記憶が気にならなくなり、いつもより仕事が効率よく終わる。そして、朝起きたときには前日の嫌な気分はすっかり消えて、スムーズに仕事に取りかかることができる。過去にどんなことが起ころうとも、その出来事は養分となり、どんどん美しい花を咲かせていく。そして、自分本来の輝きを取り戻し、美しく輝き続けるのだ。

なるほど、今の私にぴったりな助言かも。

忘れてはいけない記憶もあるけど、小さな嫌な事の記憶は早く消した方がいい。夫婦喧嘩とか、買い物の失敗とか、なんであんなことを言ってしまったのだろうの反省とか。

私は、どうでもいい事はいつまでも引きずって記憶するタイプ

だから自分にしんどい。せっかく生まれてきたのだから、小さな事に振り回される事なく、楽しく人生を送るという、ある意味元を取らないともったいない。

身の回りに起こる、将来そんなに役に立たない出来事は断捨離をして、自分の価値観でいいから「これは!」と思ったらこうやって何らかの形で記憶しようっと。

そして、私なりのできる事を探そう

 

 

 

今日もご飯を食べる

生きるために

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