よくこの「出会ってしまった」のワードを使うけれど
今回も出会ってしまった(/・ω・)/と
思えるような本との出会いがあったから
ここに残しておこうと思います
いろんな出会い
60年も生きていたらいろんな出会いがあって、人や物や景色もそうだしこうやってポチポチしているのも文字との出会いだと思うのです。そして、21日付の高知新聞を読んでいたらこの本の紹介の記事に目が留まった。
「多病息災」
一病息災ではなくあえて「多病息災」というタイトルとそれを手にして微笑んでいるご老人(失礼)そして新聞記事を読んでいくうちに読んでみたいという衝動にかられ、Amazonでしか売ってないと書いているから注文したら翌々日に届いた。
そういえば最近Amazonで注文した商品は、届いた時に傷があったり故障品が多い。梱包も雑だからAmazon離れしていたのに仕方ないから注文して、届いた本を隅々まで検品したら案の定今回も本の端っこが折れてる。天下のAmazonがこんなことじゃいかんだろうと思いながら普段ならすぐに返品かクレームのコメントを送るけど今回は仕方なく黙って受け取ることにした。
素直に読める本だった
あまのじゃくの私は本にさえもひねくれた感想を持つ。読んでるうちに白だと書いている文章に黒だと思ってしまうほどだけど、この「多病息災」は珍しく素直に受け入れられる本だった。
88歳という年齢と医師だという経歴と高知市内に住んでいるという親近感もあったからなのか、あまのじゃくな私でも「そうなんだ」なんて納得できる内容で、私でも理解できる優しい内容の本だった。途中難しい医学用語や病気についての詳しい説明もあってそこは飛ばしたけれど、生まれてきてからあの世に旅立つまでの旅行で言ったら「旅のしおり」ならぬ「人生のしおり」のような本で、肩に力入れることなく読むことができた
できないものはできない
日々、医学は進歩しているなんて言われても私にはピンとこない。だって自分が病名がつかない病気になって生活に不便を感じている時が多いのに11年経った今も治らない。でもこの「多病息災」に書かれていた言葉に息をのんだ。以下そのまま引用します
現代の医学をもってしても病気の9割は治せません。医療の立場から言えば、必ずしも病気は治せなくても構わないのです。「シニア人生での慢性病は必ずしも治癒できるものではない」というのが、医療現場で働く多くの医師の現実的な考え方です。
医療現場では、多くの病気は「今よりも悪くならないようにはできるが、完治できるとは言い切れない」と捉えています。つまり、完全に治癒しなくても日々の生活に支障がなければよいというのが、医療が目指しているところです。
私はずっとこの「不安障害」や「めまい」は治癒するものだと思っていたから、ジタバタして余計悪くしていたのかも知れない。ちゃんと受け入れて、出来ないことを嘆いたり悔しがったりしないで、今やれることを頑張ったら良かったのだ。
これまで啓発的な本もいっぱい読んできて、読んでいる時は納得できて勇気も沸いてきていたけど、時間が経てばまた同じ場所に立っている。それを繰り返してきた。なぜかと言えば他力本願が強くて誰かがなんとかしてくれるだろう、そのうち私を助けてくれる人が現れるだろうとか自然治癒力が自分にはあるだろうなんてね、甘えがあったからズルズルとここまで(11年間)来たような、要はいつも現実から逃げていた気がする。
一番私が自分に向かい合わないといけないのに、目を背けていた。
本を読んで感じる事は人それぞれだと思うけど私にとってこの本は長年抱えてきた塊をほぐしてくれたように思う。老化や病気に対しての不安をどのように解消するかを書いているから、アラ還や医療従事者にも読んで頂きたい。するすると森先生の言葉が私の目から脳から体へと入っていったからこの本は私のバイブル本になりました。
森先生は肩書や実績がすごくてそれだけでも遠い存在なんだけど、ご自身も病気を抱えながら登山やゴルフをしたりパソコン教室に通ったりとパワフルで人間味あふれる先生です。
他にも本の中身を紹介したいけど止めておく。私の言葉で伝えるのは難しいから、今日は私のおススメ本ということでおしまい
24日の不安定な天気の雪降る午後に一気に読んでしまった本。この本に出合えて良かった。
今日はこれにて
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