私がいないと困るだろう
私がいないと、この世は回らない
そりぁ、私って大事な存在なんだろうけど
私が休んでもなんとかなるわ
思い込み
これまで、職場にしても家庭にしても私がいるからこそ上手く回ってると思っていた。
はあー?って話になるけど、私がいないと職場や家族は時間が止まるぐらいに物事が前に進まなくなるから私が頑張らないといけないという思い込み。
だから、とにかく無理をしてきた。「私がいないと」という呪縛にとらわれて自分を自分で縛りつけてきていたことに最近気がついた。
どこかで、「私がこんなに頑張っているからこそ、あなた達が楽ができてる」なんてね。
職場や家族にとっては大きなお世話である
いや、そこまでは言わないだろうけど、私が無理をして体調を崩すと周りは心配するし、職場にはかえって迷惑がかかる。
だから、もう「私がいないとこの世は回らない」という傲慢な思い込みの荷物を下ろそうと思った。
どう表現したらいいか語彙力も文章力もない私にはわからないけど、どこかで私はとても無理をしながらあなた達のために頑張ってますオーラを出したり言葉にもしたりしていたと思う。
それが、職場や家族には重荷になっていたんじゃないかな?
職場は私がいなくても他の人がどうにかしただろうし、家族も私が無理をしてまで家事をしなくても自分達でコンビニに行くなりお弁当屋に行くなりして食べただろう。掃除も2,3日やらなくてもなんてことない。
それよりは、職場では笑顔で、家庭では元気でいる私の存在が必要だったはず。
私が無理をしているからこそ、あなた達が生きて行かれるぐらいな事を思っていて、ある意味それを糧にして今迄頑張れたのもあるけど、若い時はそれでよかったんだろうけど、これからは少しずつ方向転換をして、私のための私の存在になろうと思うようになってきた。
少しずつ荷物を下ろす
物にしても、責任にしてもボツボツと荷物を下ろして最後には身軽に逝けたらいい。
物はもちろんのこと、子ども達への執着も少しずつ手放していかないと、欲張りな気持ちで物は持っておく、子ども達は私が守るなんてね、そんなのやっぱり自己満足過ぎ。
社会ではルールは守るけど、自由に振る舞いたい。人目ばかり気にしてきたけど、自分の意見は伝えたい。
性格もあって全部は理想通りにはいかないだろうけど、自分で勝手に背負ってきた荷物だから、自分で責任を持って下ろして、自分が楽にならないと周りも楽にならないから。
「アナタノタメニ、ガンバッテイル」
逆に私に言われたら、場合によっては嬉しいけど、ずっとだと重い。プレッシャーにもなる。
最近、もう一つの家族に関わるようになってなんとなく様子を見ていて、女子が家庭や仕事を何もかも抱え込むということは、自分が思っている以上に体と心に負担がかかっていて、それらも慢性になっているから自分では気づかないのではないかということに気付いた。
その姿を、客観的に自分自身とも重ねて見ていたように思う。
回りの家族に分けたらいいのにそれもできなくて、減らすどころか歳を重ねると増えるばかりでがんじがらめになってくるから、頑張ることがいい事なんだろうか?と思うようになってきた。
人にはリミットがあります
どうか、女子たち頑張り過ぎないで
壊れてしまったら元には戻らないことを知っていて欲しいのです
今日はこれにて
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