私の父

しょうもない事
次は優しくて子供想いのパパのもとに生まれたいなあ

昨日の日曜日は父の日だった。それを知ったのはスーパーに行ってから。売場も母の日と比べてとても地味で、父の存在ってつくづく薄く感じた。

父親の存在感は人によって違うだろうから、自分の父でしか語る事ができないけれど、私の父は昭和初期の生まれで、自分の感情で私と妹を支配してきた。

今で言えば虐待になるだろう

子供の時はよく泣く私をうっとうしがって、泣き止ますために怒鳴りつけた。余計泣くに決まってる。母の話では赤ちゃんの時は草むらに投げつけていたと言った。

ただ泣いてうるさいという理由で仏壇で使う線香に火をつけてお尻などに押し当てられた。

そんな父親は、いつも母に依存をしていた。それは今も続いている。

父の意外な行動

私は鼻の血管が弱いのかよく鼻血を出していた。止まらなくて救急車で運ばれたことも何度かある。

小学校の修学旅行前にも鼻血が出て旅行はあきらめようと思っていた。その方が私も気が楽だから。

なのに、そんな時に限って修学旅行は一生に一回だからと、父が旅行に同行することになり、父を交えての小学校の修学旅行へ出掛けた。

その時の父の様子はわからない。私は友達と旅行を楽しんだから。一度具合が悪くなって保健の先生の部屋で休んだけど、その時に父はいなかったと思う。

私が友達と旅行を楽しんでいる間、父はどんなことをして過ごしていたんだろう。聞いてもないから知らない。

その後も、父と二人で神戸にいる父の妹の家に出掛けたりして、鬼のような父だったのに、出掛けるときは妹ではなく私を連れた。

そんな父が、20年前「ギランバレー症候群」という病気で障害者になった。

家庭の事はかえりみず、自由気ままに動いていた父の体は日に日に動かなくなり、今は母が手となり足となり世話をしている。

この事についてはまた書こうと思うけれど、私にとって父の存在は怖いという印象でしかない。

よく怒鳴られたから、今も男の人のくしゃみでさえ震え上がるほど怖い。トラウマになっている。

うわべでは、実家に行っても機嫌を取りながら話をするけど、関わりたくない存在であることは変わりない。

ドラマのように、夜には楽しく会話をしながらご飯を食べたり、年に何度か旅行をしたり、泣いてる時は優しく頭をなでなりなんて一度もない父親だった。だから今も人に期待をしないようにしている。それは、父に愛情を求めても跳ね返されてきたからなのかな。

そんな父に嫌悪感を抱いていたから、夫となる人はアットホーム的な夫がいいと思っていたのに、選んだのは結局父親と同じ種類の男だった。

私は男を見る目がないらしい。

それでも、母よりはましなのかも知れない。

人生いろいろである。

 

 

今日はこれにて

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