義理の母

日々のくらし
変わりゆく親

昨日、連絡があって姑を入院させると言う。3年前に手術をしてから体の調子が悪くなって、目に見えて弱っていた。

順番

歳を重ねたらお迎えが来る。

これは生まれてから決まっていることで、順調に行けば順番に回ってくることである。

姑は幼き頃、自分の祖父母の養女となり、百姓の労働力となった。

小学校から帰って来るのを待ちかねて、祖父母は姑に畑仕事をさせてきた。友達と遊びたいのに帰ったら畑に行かないといけない、それが辛かったと言うことを私や夫や義理の妹たちにずっと会うたびに聞かされてきた。

苦労してきたのはわかるけれど、それを私に言われても過去を変えれるでなし、どうしてやることもできないから、会うたびに聞かされる昔の苦労話にうんざりしてきた。

そんな姑が3年前大きな開腹手術をしてから、退院後も食欲が落ち、体力も気力も弱ってきて、なんとか食べさせようといろいろ食料を運んだりしたが、もともと食が細い方だったのにどんどん食べる量が少なくなっていく。

それでも、この3年は自宅で過ごしていて、家事もこなしていたのに、4日前背中から転んで骨折をした。

高齢者の骨折は致命傷になる。

病院に行って痛み止などを飲みながら、コルセットを巻いてしか治療方法がないらしく、コルセットの完成を待っていた時に、義理の父が水も飲まなくなった妻を案じて家に置いても弱るばかりだからと、夫と相談をして入院させてもらえる病院を探すことにした。

夫の年子になる妹が電話で病院に掛け合い、朝から問い合わせをして、病院同士の連絡で夕方になってやっと3年前に手術をした病院で預かってもらえるようになり、救急車の搬送で田舎から高知市内の病院に入った。

私が入院手続きをするつもりで、病院に行く用意をしていたが、救急車に義理の父が乗り、妹も救急車を追いかけて来ていて、夫や末っ子の妹も病院に行くと聞いたから私は家で待機することにした。

夜、帰ってきた夫から姑の様子を聞いたら、もしかしたらもう自宅に帰れないかもしれない状態だと言う。

面会もまだコロナを避ける為に、少しは緩和されているが、1日一回だけで一度に二人まで10分しか面会できない。

苦労を重ねてきた姑の人生を考えながら、もしかしたらまた帰宅できるかも知れないという希望を持ちながらも、他にも病気を抱えているから不安でしかない。

私ができる事はこれまでもやってきたし、これからもやるだろうし、面会には1日一回までだから、家族が代り番こをしながら今日からまた姑中心の生活が始まる。

 

 

今日はこれにて

 

 

 

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