お陰様で両親は健在です
でも80代を回ったから
それなりに問題も出てくるのです
長女の仕事
何か問題があると私に電話をしてきます。今回もそんな大きな問題ではなかったけど、最近は撮影などでしばらく行ってなかったので今日は実家に行って来ました。
それなりに話は聞くけれどアドバイスをしても母親が納得したためしがない。同じような性格だからなんとなく考えている事や希望がわかるから、自分の悪い所を見ているようで腹も立つ。でも、そこで怒ってもどうしようもないから、次から次へと雪崩のごとく母の口から出て来る話を聞きながら、私は頭の中で解決策を探る感じ。母は言いたい事を言ったらスッキリして忘れるタイプ。私はマシンガントークをじっと聞いているフリをして右から左に聞き流す。それの繰り返し。
それでもうやむやにしておくといつまでも煙り続けるから、私なりに考えた言葉で母を説得しましたら、なんとか納得したので私の任務は終了!
実家から帰って来てこの記事を書いているけど少々疲れ気味気。
母の話を聞いて、実家の様子もチェックして2時間ぐらい滞在した後、実家を出てから少し撮影に寄り道したのもあって足もだるいのです。母は今頃スッキリして晩御飯を作っているのだろうか。話を聞くだけで機嫌がよくなってくれるのならなんぼでも聞きます。
帰り道に寄り道
実家の近くにある工場。私が小学生の時には写生をしました。この工場を描いて表彰された覚えがあります。
山にへばりつくように建てられた工場は工場マニアにも人気があって、県外からも撮りにくるそうです。夜はライトアップされて幻想的な景色が見られます。すぐ横にJRが通っていますので汽車から見る工場も風情があるのです。YouTubeにもよくアップされているようで短時間の動画があったのでご覧ください
https://www.youtube.com/watch?v=3GAFGNUFBqc
田舎なりにいろんな所が姿を変えていますが、この工場は細かくは変わっているものの物心ついたころから当たり前のようにあった工場です。小学生のころはとてつもなく大きな建物からの圧迫を感じたものですが、今日見ると小さくなっているように思いました。でも、これからもこの場所で続いて行くのだと思います。
この後、海の方にも行ってみましたがいい写真が撮れなかったので、高速に乗って家に帰りました。実家と言えど結婚してから40年近くなるからもう私の居場所はありません。でも、工場のように姿が変わることなく存在してくれたら「ただいま」なんて言いたくなるのです。
年を重ねると、生きているうちに社会環境や生活環境が変わるからどうしても性格も変わる。昔はこんな母じゃなかったなんて思う時もあるけど仕方ない、昭和の激動の中を生き抜いてきたから。昭和・平成・令和という時代に順応してきたから。
終戦前後に生まれた世代の親たち
幼き頃は食べ物にも苦労してひもじい思いをしながら大人になって、こんな小さな国の経済を世界に並ぶまで持ってきたのも今の80代だと思います。これをいかに維持していくか、壊すかはこれからの人たちだと思います。どうか80代の努力を無駄にしないように頑張っていただきたいのです(丸投げの他力本願)
私たちは80代の体のしんどさや心の不安などは理解できません。でもいずれは私も行く道。母親の話を聞きながら自分にも訪れる80代への覚悟というか予防というか未来予想図が描けるのです。
頑張ります
今日はこれにて
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