送る側

日々のくらし
斎場からの景色

昨日

実妹の夫を送りに行きました

去年11月余命宣告を受け

あっという間に逝きました

次から次へと

自分の時間なんて遥か遠くになりにけり

去年は春に姑が大きな手術をしました

術後の体調と精神状態が思わしくなく

病院の近くに娘(義理妹)の家があるので

退院後、姑はしばらくはそこに滞在していました

私もできる限りの事をやろうと思い

外へ連れ出したりご飯を作ったり食べに連れてったり

術前と比べたら体力も無くなり

気力がすっかり失われていくので

私たち家族もとても不安な日々を送っていました

そんな中

11月に実妹からの連絡で

夫が長く生きられないと宣言を受けたとの連絡を受け

次から次へと起こる出来事に

うんざりしていました(本音)

毎年、今年こそは私の年にしたいと願うのに

私の体力をつけるために集中する時間が欲しかったのに

自分の時間なんかつくれるはずもなく

病人のはしごをしてました

私に何かができる力なんてないですが

姑や妹の気持ちのフォローをするべく

私なりの励ましを

二人に送っていました

少しづつ

姑は少しづつではありますが

自分のことができるようになり

今年の春から田舎で舅と暮らしています

電話はしょっちゅうかかります

内容は舅の愚痴オンリー

それでも話を聞くだけで姑の気が収まるなら

嫁は聞くしかありません

自分のことは自分でやってくれる事だけでも感謝しなくては

少しづつから一気に

妹の夫が好きだった裏山

実妹の夫は抗がん剤治療を受けていました

一時は医師も驚くほど

数値も良くなっていましたが

先月から一気に病魔が彼を飲み込んでいきました

せめてもの救いは

長く苦しまなかったこと

妹とその息子にする

最後の優しさでした

私の両親と同居していたので

母は実妹よりも頼りにしてました

自然が好きな心が広い妹の夫でした

私より6歳も年上のくせに

私の事を「おねーさん」と呼びました

今も聞こえます

「おねーさん」

ここにおるき(ここにいるから)

肉体から離れても人生の旅路は続く

人が亡くなったら

その人の人生が終わるわけではなく

家族がいる限り

(血で)つながりながら

続いていくように思います

The Endなんかなくて

巡り巡っているように思います

肉体は消えても

魂の旅路は続くと思います

悲しいけれどお別れではなくて

見えないけれどそばにいるからと

妹にはそう伝えております

そんな簡単に割り切れるものじゃないとはわかっていますが

夫の分まで強く生きて欲しいです

 

 

生きざまと死にざま

どちらも全てを自分では選べないですが

少しでも理想に近づけるよう

旅路を歩みます

 

 

 

今日はこれにて

 

 

 

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